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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)7929号 判決 1985年3月26日

原告 石橋健

右訴訟代理人弁護士 斎藤一好

右同 山本孝

右同 大島久明

被告 昭和化学工業株式会社

右代表者代表取締役 石橋俊一郎

右訴訟代理人弁護士 雨宮真也

右同 川合善明

右同 島田康男

右同 緒方孝則

右訴訟復代理人弁護士 木村美隆

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1. 被告の昭和五八年六月二九日に開催された定時株主総会における第五六期利益処分案を承認する旨の決議を取り消す。

2. 訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 原告は、被告の株式六〇〇〇株を所有する株主であり、かつ、昭和五六年六月二九日から昭和五八年六月二九日まで被告の唯一の監査役であった。

2. 被告は、資本の額金五億四四五〇万円の株式会社であるが、昭和五八年六月二九日に開催された定時株主総会(以下「本件株主総会」という。)において、第五六期利益処分案を承認する旨の決議(以下「本件決議」という。)をした。

3. しかしながら、本件決議には次のような取消事由がある。すなわち、本件決議の決議の方法は、商法二八一条二項、株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「監査特例法」という。)一二条、一三条一項及び大会社の監査報告書に関する規則八条の各規定に違反する。

(一)  商法二八一条一項の書類は、監査役の監査を受けることを要し(同条二項)、資本の額が五億円以上の株式会社においては、取締役は、定時総会の会日の八週間前までに商法二八一条一項各号に掲げる書類(以下「計算書類」という。)を監査役及び会計監査人に提出しなければならず(監査特例法一二条一項)、計算書類を提出した日から三週間以内に、その附属明細書を監査役に提出しなければならず(同条二項)、会計監査人は、計算書類を受領した日から四週間以内に、監査報告書を監査役に提出しなければならない(同法一三条一項)。また、監査役の監査報告書には、監査役が署名押印しなければならない(大会社の監査報告書に関する規則八条)。

(二)  しかるに、被告は、商法二八一条一項の書類について監査役であった原告の監査を全く受けず、同人に対する監査特例法一二条及び一三条一項の各書類の提出を怠り(右各書類が原告に提出されたのは、本件株主総会の会日の一四日前である昭和五八年六月一五日であった)、あまつさえ同年五月二六日付の原告名義の監査報告書(乙第一一号証)を偽造してその謄本を本件株主総会の招集の通知に添付し、各株主に発送せしめた。すなわち、原告名義の監査報告書は、被告の事務担当者であった津田雅通(以下「津田」という。)が原告の意思に基づかず勝手に作成したものであり、その印影が同人の手により顕出されたことは被告の自認するところである。

4. よって、原告は、被告に対し、本件決議の取消しを求める。

二、請求原因に対する認否及び被告の主張

1. 請求原因1記載の事実は認める。

2. 同2記載の事実は認める。

3.(一) 同3柱書記載の事実は否認する。

(二) 同3(一)記載の事実は認める。

(三) 同3(二)記載の事実中、原告名義の監査報告書の謄本を本件株主総会の招集の通知に添付して各株主に発送したこと及び原告名義の監査報告書が津田により作成され、原告の印影が津田の手により顕出されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

監査特例法一二条による計算書類及びその附属明細書の「提出」とは、監査役の従前の監査方法、事務処理の慣例等の諸事情を考慮し、特に監査役の監査の履行場所が会社であることに鑑み、会社において監査しうる状況に備え置くことを意味するものと解すべきところ、本件においては、被告は、遅くとも昭和五八年五月二日(提出期限は同月四日である)までには計算書類を作成の上、原告に対し、その監査を求める旨を電話し、かつ、計算書類をいつでも原告の監査に供することができるよう被告に備え置いたから、監査特例法一二条に規定する提出はこれがあったものとみるべきである。

また、被告は、昭和五八年五月二六日、計算書類を持参の上、原告を訪ねてその内容を説明し、その監査を求めたところ、原告は、監査報告書の作成を含む株主総会の事務を例年どおり進めることにつき承諾を与えたので、津田において原告の履行補助者として原告名義の監査報告書を作成したものである。原告は、昭和四七年以来継続して被告の監査役に就任していたが、監査役として自ら監査報告書を作成したことはなく、その作成を全て被告の事務担当者に委せていたが、原告名義の監査報告書は、原告の意思に基づき、正に例年どおりの方法により作成されたものであって、その作成経過に瑕疵はない。

更に、商法二八一条二項、監査特例法一二条、一三条一項、大会社の監査報告書に関する規則八条の各規定は、いずれも決議の効力を左右することのない株主の利益のために設けられた命令規定にすぎないから、仮に右各規定違反の事実があるとしても、株主が株主総会において計算書類の承認の決議をしたときは、自らその利益を放棄したものとしてその決議は完全に有効であると解すべきところ、本件においては、計算書類は本件株主総会において出席株主全員によって承認されている(乙第一六号証)から、本件決議は完全に有効である。

三、抗弁

(裁量棄却)

仮に、計算書類の提出及び監査報告書の作成に瑕疵があったとしても、原告の本訴請求は、次の理由により棄却されるべきである。

1. 瑕疵が軽微であること

被告は、昭和五八年六月二日には計算書類を原告の下に持参しているが、原告はこれを受領しなかった。これは、監査特例法一二条一項の提出期限を経過しているが、被告は、前記のとおり、右の提出期限までに計算書類を被告に備え置き、原告に対し、監査の要請をすると共に決算内容の報告を行っていたから、その瑕疵は極めて軽微なものといえる。他方、原告は、被告が従前の慣行に従い、計算書類を送付しないことを熟知しながら、事前にはもとより五月二六日の説明の場でもこれを求めることをせず、六月一日になっていきなり内容証明郵便の方法により送付要請をしている。監査の意欲があったという監査役の行動としては不自然であり、原告の態度には敢えて瑕疵を作出せんとした形跡さえ読み取れるのである。つまり、原告の本訴請求は、自らの任務を果さなかった者が果さなかったことを理由としてその任務懈怠によって相手方に生じた瑕疵を主張するというものであり、いわゆるクリーンハンドの原則に反する行為といえる。

また、監査報告書の作成についても、原告の指示に従い、従前どおりその作成をしたことが結果的に原告の意思に反することとなったとしても、その意思が表明されたのは六月二〇日に到達した内容証明郵便(甲第六号証の一、二)によってであって、その時には既に監査報告書の作成事務は終了していたのであるから、これをもって被告に重大な瑕疵があったとはいえない。

2. 瑕疵が決議に影響を及ぼさないこと

第五六期利益処分案は、株主総会の出席株主全員によって異議なく承認されているが、右出席株主の株式数は、発行済株式総数の七八パーセントに相当するから、仮に、再度株主総会の議に付されたとしても覆されることはあり得ない。

3. 本件訴訟が原告の私利私欲に出るものであること

原告の父石橋健蔵(以下「健蔵」という。)は、被告の代表取締役社長石橋俊一郎(以下「石橋社長」という。)の父でもあり(すなわち、原告と石橋社長とは異母兄弟である。)、一代にして石橋産業株式会社を中核とする石橋産業グループを築き上げた立志伝中の人物であったが、生前九人の男子のうち八人をそれぞれ傘下の会社の役員に就任させ、石橋産業グループの将来を託した。大方の男子は、いずれも健蔵の期待に応え、傘下会社の役員としてそれぞれ活躍し、今日に至っているが、原告は、健蔵のバックアップにより株式会社かねもり(東証二部上場)の代表取締役に就任したものの、代表取締役としての責任を果せず、昭和五三年六月にはその職を辞任せざるを得なくなり、同社取締役会長に棚上げされたが、昭和五五年五月には、右取締役会長をも辞任せざるを得なくなった。ところが、原告は、自らの不遇が自らの行為に起因することを棚に上げ、あたかも石橋グループの中核である石橋浩(石橋産業株式会社の代表取締役社長)と石橋社長が共謀して原告を疎外し、失脚させたかの如く誤解し、一方において石橋浩が代表取締役をつとめる石橋産業株式会社に対し、検査役の選任請求を申し立て(東京地方裁判所昭和五八年(ヒ)第二一二号)、他方において石橋俊一郎が代表取締役をつとめる被告に対し、本件訴訟を提起したものである。すなわち、原告は、会社の利益のため、又は株主共同の利益のために前記検査役の選任申立や本件訴訟の提起を行っているものではなく、石橋グループ内における自らの復権を狙って被告らに対しゆさぶりをかけ、又は自らの失脚の私怨を果すためにこれを行っているのであり、法律的にも社会的にも到底容認し難いものである。

四、抗弁に対する認否及び原告の主張

1. 抗弁1記載の事実は否認する。

昭和五七年一〇月一日から施行された改正商法により、被告の第五六期営業年度の監査は従来と内容的にも相違しなければならず、更に監査役の責任解除に関する商法二八四条の規定も削除されたのであるから、監査役の監査のための配慮を被告としては十二分にしなければならなかったのである。原告の監査の意思もこうした法改正を踏まえてのことであり、しかも、原告は、被告についての株主数の水増し、関連会社に対する融資の処理等についての疑惑を抱いて監査しようとしたのに、被告はこれを踏みにじったのであり、被告の行為は重大な法令違反であるから、厳正に裁かれなければならない。

また、被告は、原告が監査役として職務怠慢であったのに、これを棚に上げて本件訴訟を提起したというが、被告は、むしろ原告が監査役として無為であることを望み、そのように仕向けてきたのであり、今回の監査についても原告が何もしないで、いわば盲判を押すことを承認するよう執拗に迫ったのである。

2. 抗弁2記載の事実中、第五六期利益処分案が株主総会において承認されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

監査の結果によっては、株主らを目覚めさせ、第五六期利益処分案が否決される可能性は十分に存在する。

3. 抗弁3記載の事実は否認する。

原告は、商法の精神に則り、被告、株主、債権者、従業員等の全体の利益を守り、被告の非違を正すため、自己の費用と負担において本訴を提起したものであり、私利私欲を図ったものではない。

第三、証拠<省略>

理由

一、請求原因1及び2記載の事実は、当事者間に争いがない。

そこで本件決議に原告主張のような取消事由があるか否かについて判断する。<証拠>を総合すれば、次のような事実が認められ、これに反する原告本人尋問の結果は前掲各証拠に照らしたやすく信用できないし、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

1. 被告の第五六期営業年度の計算書類及びその附属明細書は、昭和五八年四月初旬から経理部において作成され、同月末に経理部から総務部に上げられ、同月三〇日取締役会において承認された。このため、津田は、同年五月上旬から中旬にかけて監査役であった原告に対し、電話で三、四回、計算書類の監査のため来社するよう要請したが、原告からは何の連絡もなかった。そこで、津田は、例年どおり、同月半ば頃に監査役の監査報告書の原案を作成し、同月二〇日頃、原告が経営する石橋ビルサービス株式会社(以下「原告会社」という。)の従業員堀田に対し、監査のための出社を要請したところ、同月二六日午前一〇時に原告会社の方へ来てほしい旨の連絡があった。

2. 五月二六日、被告の石橋社長は、決算短信(乙第一八号証)、本件株主総会の招集の通知(乙第五号証の一)及びその添付書類である報告書(同号証の二)のゲラ刷り並びに津田が作成した説明用のメモ(乙第一三号証)を持参し、中西総務部長及び津田を同道して原告会社を訪れ、原告に対し、メモ及び決算短信に基づいて、①株主総会までの日程②第五六期の業績③株主総会の決議事項及び④原告の報酬改訂(増額)について説明した。これに対し、原告は、①については、「当日午後の決算役員会には出席できないと述べ、②については、「いい決算ですね」と言い、④については、「分かりました。結構です」と答えた。

これらの説明の後、石橋社長が「総会に向けて従来どおり手続を進めますから、と述べたところ、原告において「結構です。従来どおりやって下さい」と答え、更に津田が帰り際に、「例年総会の基本的なシナリオを私が作っておるのですが、それをでき次第お送りします」と述べたところ、原告は、「ええ分かりました。そうして下さい」と答えた。

津田は、監査役の監査報告書について原告から承認をもらったものとして、五月二六日を確定の日付とし、上司の承諾を得てタイプに回した。右監査報告書は、六月半ば頃タイプ屋から被告に納入されたが、津田は、納入された日に監査報告書の押印欄に自分が保管する原告の印鑑を押捺して監査報告書を完成させた。なお、被告は、五月二六日の取締役会で本件株主総会の招集を決定した。

3. ところが、原告は、同月三一日付の内容証明郵便で被告に対し、第五六期営業年度の計算書類を原告に対し提出するよう求め、右郵便は、翌六月一日被告に到達した。これに対し、石橋社長は、永山常務、中西総務部長と共に、指定の計算書類を持参して原告会社を訪れ、原告に対し、計算書類を提出したが、原告がこれを受け取らなかったため、そのまま持ち帰った。

しかるに、原告は、代理人斎藤一好弁護士の名で六月七日付内容証明郵便により監査特例法一二条及び一三条一項所定の書類を同郵便の到達後二日以内に斎藤法律事務所に提出するよう要請し、同郵便は、翌八日被告に到達した。このため、被告は、同月一四日、回答書と共に指定の書類を斎藤法律事務所に書留郵便で送付し、同郵便は、翌一五日同事務所に到達した。これに対し、原告は、同月一八日付の内容証明郵便(同月二〇日被告に到達)により、原告の監査が全く行われていないのに原告名義の監査報告書が偽造され、これが本件株主総会の招集の通知に添付されて株主に発送されたことを警告すると共に、同月二二日、目黒警察署に対し、石橋社長を私文書偽造同行使の容疑により告訴した。

他方、被告は、同月二一日付で原告に対し、本件株主総会の出席通知を発し、右通知は、翌二二日原告に到達したが、原告は、これに対し、同月二四日付の書面により本件株主総会の招集手続は違法であり、総会そのものを認めることができないとして欠席する旨を通知し、右書面は、翌二五日被告に到達した。

4. 原告は、昭和四七年以来被告の監査役の地位にあるが、これまでに監査役として実質的な監査を行ったことは一度もなく、監査報告書の作成についても全て被告の事務担当者に一任し、監査役の印鑑も事務担当者に預けっぱなしの状態であり、監査役としてしたことは、株主総会に出席して事務担当者が作成した監査報告書を機械的に読み上げるということだけであった。

右事実によれば、原告名義の監査報告書(乙第一一号証)は、偽造されたものとはいえないが、第五六期営業年度の計算書類及びその附属明細書は監査役である原告の実質的な監査を受けていないこと、計算書類が原告に提出されたのは昭和五八年六月二日であり、その附属明細書及び会計監査人の監査報告書が原告に提出されたのは同月一五日であることが認められる。したがって、本件決議の決議の方法は、商法二八一条二項、監査特例法一二条及び一三条一項並びに大会社の監査報告書に関する規則八条の各規定に違反するものと認められる。

二、そこで、更に進んで裁量棄却の事由があるかどうかについて判断する。

1. 証人津田雅通の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五八年一月頃被告の関連会社に対する融資の処理等について疑惑があるとのうわさを耳にし、第五六期営業年度の計算書類等については実質的な監査をしなければならないと考え、同年五月二〇日に至って初めて斎藤弁護士に相談し、以後同月三一日付の内容証明郵便により被告に対し、計算書類を提出するよう求めたことを皮切りに前記認定のような行動をとったこと、しかしながら、五月二〇日前に被告に対して計算書類を提出するよう要請したり、又は監査のため出社したことは一度もなく、却って前記認定のとおり津田の監査のための出社要請を無視し、六月二日、被告の石橋社長が計算書類を提出したときもこれを受け取らず、会計監査人に対して必要な説明を求めるなどの疑惑を解明するための具体的な行動は何一つとっていないこと及び被告において原告の監査を妨害したような事実は全くなかったことが認められる。

本件決議に原告主張のような瑕疵があったことは前記認定のとおりであり、特に商法二八一条二項違反の事実は、一般論としていえば軽微な瑕疵ということは相当でないと考えるが、以上のような事実関係、ことに原告において実質的な監査をしようと思えば容易にこれを実行することができたにもかかわらず、あえてこれをせず自ら同項違反の瑕疵を作出した事実に鑑みれば、これをもって重大な瑕疵であると評価することは相当でないし、その余の法令違反も前記の事実関係の下においては、これをもって重大な瑕疵ということはできない。

2. 次に、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一六、第一七号証及び弁論の全趣旨によれば、被告の第五六期の営業報告書、貸借対照表、損益計算書及び利益処分案は被告の発行済株式総数一〇八九万株のうち八四五万株の株式数を有する株主によって承認されたこと及び被告の議決権の過半数を占める大株主はいずれもこれに異議なく賛成していることが認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

また、本件全証拠によるも原告指摘の疑惑のうわさを裏付けるに足りる具体的事実が存在するとは未だ認められない。

右事実によれば、前記認定の瑕疵は、本件決議に影響を及ぼさないものと認められる。

三、以上のとおりであるから、当裁判所は、本訴請求を棄却するのが相当であると考える。よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高柳輝雄)

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